日新公いろは歌
島津 忠良(しまづ ただよし)
明応元年9月23日(1493年10月14日) - 永禄11年12月13日(1568年12月31日)は薩摩の戦国大名。
子には島津貴久・島津忠将・島津尚久・御南(肝付兼続夫人)らがいる。幼名を菊三郎。三郎左衛門、相模守を称す。号は日新斎(じっしんさい)。
伊作島津氏・10代当主で戦国時代に九州の大半を制覇した戦国島津氏の基礎を築いた人物で「島津氏中興の祖」とされている。
政治の実権を貴久に譲った後も思想的、精神的に島津家や家臣に影響を与え続けた。
忠良は「いろは歌」の創作でも有名である。君主や家臣の心得や、道徳、学問への心構えなどを網羅し、江戸時代の薩摩藩の教育に生き続けました。
「いにしへの道を聞きても唱えへてもわが行いにせずばかひなし」に始まる47句の歌であるが、この儒教的な心構えを基礎とした忠良の教育論は、 その後の薩摩独特の士風と文化の基盤を築いた。いろは歌は薩摩藩士の郷中教育の規範となり現代にも大きな影響を与えている。


島津 忠良公の墓
   


いにしへの道(いろは歌碑)

いろはにほへと ちりぬるをわかよ たれそつねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
かるた出典元
  生きる知恵を子に伝える日新公の『島津いろは歌』(かるた)



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